全校朝会での校長講話⑥(参集型)「あいさつ」

令和8年3月6日

校長 早坂 和重

みなさん、おはようございます。

さて、今日は令和7年度、最後の全校朝会です。何をお話しようかと考え、いつどんなお話をしたか振り返ってみました。

5回目は、1月で「最後の時間にすること」の話、

4回目は11月で「まだまだ知らない附属小の世界」の話、

3回目は、9月で「アカツカトヨコさん」の話、

2回目は、7月で「ほっと」の話、

1回目は、5月で「品」の話でした。

ちょっとばらばらな話かと思ったのですが、もう一度原稿を読んでみたところ、そんなにばらばらでもなく隠れたテーマがあったことがわかりました。それは「大テーマ」です。24時間意識しているわけではないのですが、何かを考えるときには、いつも「大テーマ」が心の根っこにあったことがわかりました。なつつばきの皆さんが卒業したあとも心にあり続けると思っています。

そして、大テーマとともに、4月からずっと気になっていることを改めて確認できました。それは「品」です。ちなみに今年は、「品」にかかわる情報を集めています。その中の「あいさつ」の情報が目に留まりました。3月・4月は出会いと別れの時季で何かと「あいさつ」が多い時季です。また、「4つの誓い」の中にも「あいさつ」がありますので、そこで今日は「あいさつ」についてお話をします。

思い出してみれば「あいさつ」は、小学生の頃からずっと不思議でした。そもそも、なぜ朝は「おはようございます」というのだろうかと考えていました。「あいさつとは、一体何なのだろうか」という素朴な疑問です。こういう疑問は決してすっきり解決するという類のものではなく、答えにくく解明し難しいものです。

こういう問題について考える時は、前も朝会でやりましたが、とりあえず「思いつくことをできるだけたくさん集める」という方法があります。みなさんは「あいさつ」聞いて何を思いつきますか。指を折って考えてみましょう。

では、わたしが思いついたものを参考までに紹介します。

①おはようございます・②こんにちは・③こんばんはなどの時間関係のあいさつ。④はじめまして・⑤さようなら・⑥またお会いしましょうなどの出会いと別れのあいさつ。⑦よろしくおねがいします・⑧ありがとうございました・⑨ごめんなさいなどのお願いや感謝、そして謝罪のあいさつ。廊下ですれ違う時の⑩会釈もあいさつですね。あっという間に10個です。

他にも⑪明けましておめでとうございますとか、特別な時のあいさつ。もちろん、⑫「四つの誓い」を思いついてもよいですね。

そして、あいさつを広く考えれば、これからの時季は「お別れのことば」というちょっと長いあいさつや、4月になれば、新しい「出会いのあいさつ」「自己紹介というあいさつ」など、数え上げればきりがありません。

 そうやってたくさん考えた上で、再び「あいさつとは何か」を考えてみると、どうも「間にある(人・もの・こと)」のがあいさつだということが見えてきます。

ちなみに、自分であれこれ思うだけではすぐ限界がきます。調べるという方法があります。今は、タブレットもあるので手軽に調べはじめることができます。ただ、ネット上には正しいとは言えない情報もあります。信用度が高い資料に当たることが大切です。集めた情報の中にちょうど「あいさつ」についての資料(「学問」東北大学大学院文学研究科2024.p.121)があります。ここではこの資料にある「あいさつ」についての情報を2つ簡単にご紹介します。

 一つ目は、ピダハン族の言語についてです。彼らの言語には、「こんにちは」「すみません」「ありがとう」などのあいさつ表現がないそうです。その代わりに、たとえば「ありがとう」や「すみません」という感謝や謝罪の気持ちは、すべて何らかの行動ですぐに返されるそうです。こんなくらしをしている人々がいるんだなあと思ったところです。

 二つ目は、日本における「挨拶」についてです。この資料によれば、「挨拶」は、もともと禅の師匠が弟子の力をテストするものだったそうです。つまり「こんにちは」は、本来は師匠からの「今日はいかがですか」に対し、弟子が的確に答えられるかが問われる試練の場だったそうです。変なことを答えたりすれば「喝」が飛んできたそうです。昔の弟子は師匠の姿を見たら、「こんにちは」とあいさつされないように、逃げ回っていたかもしれません。今と全くちがっていて驚きました。時代が過ぎて、現代のあいさつはいつの間にか変化し「今日はどうですか?」という質問に対して「今日はどうですか?」と質問返しをするのがあたりまえのものになっているようです。

 この資料には、そのような現代の「あいさつ」の課題について、次のように記されています。それを最後に紹介します。

人と人との出会いには、本来緊張が伴うものです。現代のあいさつは、たしかに人と人との間の緊張を和らげ、やりすごすものになっています。けれども逆にそういった「あいさつ」が、本来やりすごされるべきではない緊張を覆い隠しているということはないでしょうか。実際に複雑で多様な社会(多言語、多民族、多文化)を生きるアメリカ人は「ありがとう」を言いすぎると言われています。

わたしたちはどうでしょうか、人間関係の中で「すみません」を言いすぎているということはないか…などということも気になってきました。

最後になりますが、今年1年間かけて「品」とは何かが少し見えた気がしました。品とは、「人と顔を合わせている時の緊張感をどこかでもち続けていることなのかもしれない」ということです。すると、朝のあいさつが「おはようございます」だけではないのだろうとも思いました。「今日は寒いね」「昨日のあれたのしかったね」から始まってもいいのではないか。また「ハイタッチ」でもいいのではないか。そんなあいさつも「さわやかで元気なあいさつ」なのではないかと思ったところです。